福島、和歌山ときて次は宮崎…。知事の汚職である。

知事は住民の直接投票で選ばれるという点で、米国の大統領型権力者である。議院内閣制における総理大臣より、ある意味権力を有しているともいえる。それだけに議会等権力を監視する機能、とりわけジャーナリストの役割は重要であるあはずである。

本来なら、こういう事態になる前に権力者の実態を暴き、有権者に伝えるべきなのがメディアの役割である。和歌山県知事などは、「改革派知事」としてメディアはこぞって持ち上げていた。ところが一転、逮捕劇となるとまさに手のひらを返したように、裏でこれまでどれだけ危ないことをやっていたか、を暴き始めるのである。まさに「水に落ちた犬」状態である。

外様知事が地方で降り立って当選することがどれだけ大変なことか、さらに当選回数を重ねていくこと=地元にとけ込むことがどういう副作用を生んでいくか…、ジャーナリストなら当然知っていたはずだ。しかし、書かない、書けない。書くとしたら地元オンブズマンの告発があって初めて「ニュース」となるのが実情である。

実は有権者はこうした知事の実態を噂で知っている。県庁に出入りする業者ならなおのこと。つまり誰でも知っていることをメディアは書かない、読者も「どうせ○○新聞は書かないだろう」と、端から信用していない。こんな社会がまともな民主主義社会といえるのだろうか。