後藤田正晴元副総理が亡くなられていたことがわかった。私は徳島出身なので、感慨は一塩だ。

若い人は知らないかもしれないが、三木武夫(故人)という元総理大臣がいた。彼も徳島出身。徳島では、三木派を率いる三木氏と田中派の後藤田氏が、まさに県を二分する政争を繰り広げた。「三角代理戦争」「阿波戦争」というやつである。後藤田氏が警察官僚を辞めてはじめて挑んだ参議院選挙は、大量の選挙違反を出し、このとき付いた後藤田=金権のイメージは、晩年までぬぐい去ることは出来なかった。

伝統ある三木勢力に挑んでいったのが新興の後藤田派。このとき後藤田陣営が盛んに流したのが「三木は地元のために何もしていない」という批判であった。当然三木陣営は「そんなことはない。橋も道路も三木が尽力している」と反論したが、三木氏自身そうした利益誘導自慢合戦を好まなかったようだ。

そしてその批判が、有権者の評価を得ていき、やがて後藤田派が三木派を圧倒するようになっていった。「地元への利益誘導を行わない政治家はダメ」という風潮だったのだ。事実「後藤田道路」と呼ばれるきれいな広い道が徳島にはある(ご多分に漏れず通行量は少ない)。田中派が日本中を制圧していた時代である。

翻って今回の衆議院選挙。公判中の身でありながら、地元利益を露骨に主張する鈴木宗男のような議員も復活してきたが、政党本部主導の落下傘候補も数多く当選した。「地元利益誘導」から「政策本位」へと、有権者の判断基準は変わりつつあるのだろうか。それとも、今回の選挙が小泉純一郎という稀代のパフォーマーによる一度きりの「異変」にすぎないのだろうか。

晩年は「ハト派」の重鎮として、「自衛隊海外派遣」「憲法改正」「靖国」と、小泉氏の政治姿勢にことごとく苦言を呈していた後藤田氏。威勢のいい似非ナショナリストからは、「時代遅れ」として煙たがられていた後藤田氏。

自民党が300弱の議席を得た夏、後藤田正晴氏が亡くなった。