メディアをよむ

日々メディアから流れるニュース、情報について思うところを記します。

2005年07月

レクサスは受け入れられるか

トヨタ自動車が、レクサスの8月30日開業を発表した。開業と同時に発売されるのは、アリストの後継車種GSとソアラに代わるSCの2車種。続いて、9月27日には、アルテッツァ改めISが仲間入りする予定とのこと。最上級車種であるLS(日本名セルシオ)については、年内発売、価格は1000万円を超すとのことだが、概要を公表していない。 http://www.toyota.co.jp/jp/news/05/Jul/nt05_040.html

フラッグシップカーであるLSの投入が遅れることに関しては、ブランドイメージの構築、消費者に与えるインパクトの点で問題視する意見もあるようだ。

ライバルは当然メルセデスベンツでありBMW等の欧州高級車である。これらの牙城を崩さないことにはセルシオの未来は見えてこない。しかし、それが可能なのか、大いに疑問である。

これら欧州車を買う顧客(これから買うであろう潜在顧客)が、メルセデスやBMWに求めているのは、そのたたずまいであり、ブランドイメージ、ステータスシンボル性であろう。この価格帯になれば性能や安全性での差別化は難しい。要するに「1000万円出してトヨタに乗るか」、ここに尽きるのではないか。

トヨタ車は確かにいい車である。企業としても突出して素晴らしい。プリウスのような先進的な車を開発し、米国では一種のステータスになっているとも聞く。しかし、トヨタはトヨタである。カローラでありクラウンのトヨタである。私には、日産やホンダは車のイメージがあるのに対し、トヨタは会社のイメージしかない。

店舗はかなり高級なものになるという。今後注目したいのは、レクサスがどのようなマーケティング戦略を打ち出してくるかだ。高級、贅沢、ラグジュアリーといった今後伸びるであろう消費分野は、日本では欧米企業の独壇場である。最も日本的な企業がこのマーケットをどう攻めていくのか、楽しみである。

さようなら、岡八朗

岡八朗が亡くなった。最近好きな人が次々と亡くなっていく。寂しい限りだ。

昭和36年生まれの私たちは、子供の頃、土曜日に学校が終わると家に飛んで帰り、テレビで吉本新喜劇や道頓堀アワーを視るのが、とても楽しみだった。そのときのスターが、花紀京であり平参平であり谷しげるであり岡八朗であった。

「わいはこう見えても学生時代に空手習てたんや、…もっともこれは通信教育やけど…すきがあったらどっからでもかかってこんかい!…くっさー、えげつなー」。一連のギャグに腹を抱えて笑ったものだ。

あまり古いコメディアンは知らないが、ある演芸評論家が新聞に書いていたが、型やストーリーより、ギャグやキャラクターが前面に出てきた今のお笑いの走りだったのだろう。

吉本新喜劇からは今も次々と新しいスターが出ている。東京へ行ってしまうタレントも多いが、大阪に根を下ろして頑張る役者をこれからも応援したい。

それにしても谷しげるや伴大伍、淀川五郎、室谷信男(漢字あってるのでしょうか)、どうしてるのかなあ、生きてるのかなあ?

天皇制存続も大変だ

今朝の朝刊各紙に、皇室典範有識者会議の中間報告が出ている。男系男子を維持するために旧皇族を復帰させる、もしくは女系天皇を容認するか、2案を示したという。
 
父方に天皇の血を引く男系男子のみを皇位継承者とする現在の典範が、行き詰まってしまったうえでの見直しである。天皇制存続を目的とすれば、現実的にはこういう方法しかないのであろう。
 
天皇家も大変だ。男系、女系などと時代がかった用語が飛び交い、X染色体がどうした、Y染色体がどうのと、まるで天皇家は天皇家を存続させるためのマシンのような扱いだ。
 
普通の家であれば、女の子しかいないところなどごく当たり前。厳格に一夫一妻制を守っていれば(側室制度を認めなければ)、こうした事態に行き着くことは容易に想像できる。男系男子のみによる万系一世などということは、現代の道徳価値から見れば、古き良き世のフィクションに過ぎないのではないか。
 
天皇制が、国民の統合の象徴、あるいは心の拠り所として存続すること自体に意味があるのなら、今回のような案を実現していくしかないだろう。一方、天皇制の中身そのものに価値をおくのであれば、このまま天皇制が消滅してしまうことも潔く受け止めなければならないのではないか。
 
 

理念のないドラフト改革

先日、プロ野球ドラフト会議の改革案が発表された。 http://www.asahi.com/sports/update/0719/109.html

 まったく、理念、思想のない案であり、ちゃらんぽらん(関西の人しかわからないか…)ではないが、「中途半端やな〜」と突っ込みを入れてしまう。昨年の大騒ぎは一体何だったのか。「がっかり」であり、「やっぱり」である。

 中身は、々盥酸犬世雲莵塋魅疋薀侫鉢⊆由獲得枠を2から1に削減、プラスフリーエージェント(FA)制度の取得年限の1年短縮−これだけである。特に「自由獲得枠の削減」には、あまりの中途半端さにあきれてしまう。自由獲得枠を巡る昨年の不祥事に対する反省は全くない、ということだ。 プロスポーツのあり方、ファンにアピールする魅力は何かという、根本的な方向性が一致していないので、このような結論になるのであろう。

2つの方向性が考えられる。1つは、資金力のある球団が、圧倒的に強いチームを作り、人気を集める。他球団はその引き立て役でもいいから、メジャーと対等に渡り合えるチームを作ることがプロ野球のあり方であり、球界全体を隆盛に導く方法である。これはこれで結構である。そうなれば、ドラフト制度の撤廃、フリーエージェント年限の大幅短縮こそ「改革」である。

 もう1つの考え方としては、全球団の戦力をできるだけ均衡させ、競り合ったゲームを多くして、どこが優勝するかわからないペナントレースの面白さを提供するのがプロ野球の使命−とするものである。こうなれば、ドラフトは完全ウェーバー制、フリーエージェント制度の撤廃を行う。しかし、これではあまりに選手個人の自由がないので、フリーエージェントは一定の年限で存続させる。一方、サラリーキャップ制を導入して、戦力均衡に配慮する。

私自身は、後者の方向性を目指すべきであると思うし、ファンの多数もそうではないだろうか。

郵政民営化にしろ、道路公団改革にしろ、「何もしないより一歩でも踏み出すことに価値がある」と言われた。しかし、理念も思想も横に置き、妥協に妥協を重ねて「骨抜き」といわれる改革が、支持を集められるのか。プロ野球も政治も同じである。

橋本真也選手の死

プロレスラーの橋本真也選手が亡くなった。脳幹出血とのこと。まだ40歳。メジャーである新日本プロレスを離れ、最近はけがの治療に専念してあまり姿を見ることはなかった。私自身は、体つきが嫌いなのであまり好きな選手ではなかったが、実にもったいない。
 
彼はすごくいい人間なのだと思う。彼がまだテレビに映っていた頃の話題と言えば、プロレスに殴り込んできた小川直也選手を迎え撃つ役割を担わされ、どういう手違いかボコボコにやられてしまい、「プロレスラーは弱い」という評価の責任を背負わされてしまったことである。「フェイク」と「真剣勝負」の境界をさまようプロレスというジャンルの、最も世間に見せてはいけない部分を露わにしてしまったのだ。
おまけに続きの抗争では「負ければ引退」宣言までさせられていたから、さあ困った。子供を使ったお涙頂戴の演出で復帰したものの、最盛期の輝きはついぞ取り戻せなかったと言ってもいいのではないだろうか。
 
しかし、お母さんも同じ原因で亡くなられたらしいが、死因が脳幹出血とは…。誰かの延髄斬りが効いていたのか。
レスラーとしての好き嫌いは別として、惜しい人材であった。寂しい。

靖国を考える

高橋哲哉氏の「靖国問題」(ちくま新書)を読んだ。近づく8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝するのか、が注目を集めている。日本人として、中国、韓国等との間の最大の懸案である靖国問題について、一人ひとりが自分なりの意見を持つべきだと思い、この本を手に取った。
 
「外国の圧力に負けるな」「靖国は日本の伝統であり、いちゃもんを付けるのは内政干渉だ」との立場に立つ人々にとっては、納得のいかない内容であろう。しかし、「靖国について何も知らないので一から勉強したい」「これだけ中国や韓国がこだわるのは何か理由があるはずだ」と、素直に読むには格好の靖国問題入門書である。
 
なかでも、以下の点はこの問題について刮目させてくれた。言葉遣いはこのような過激なものではないが、内容的には間違いないと思う。読み間違いがあれば指摘して下さい。
 
・靖国神社が日本の伝統などというのはとんでもない。勝者も敗者も分け隔てなく祀るのが日本の伝統なら、明治時代にできた靖国神社は、時の政府側にたって死んだ軍人のみを祀る特殊な神社である。死んだ軍人を「国のために死んだ」として顕彰するのは、外国にも広くある普通の施設である
 
・靖国神社は、明治になって国の都合で作られた慰霊装置である。分祀について「座がひとつなので不可能」などというが、他の神道とは違う、靖国独自に作った概念であり、自分たちで修正することが出来ないはずがない
 
・靖国以外に国立の慰霊施設を作ることですべて解決するかのような意見に賛同できない。戦後の不戦の誓いを実践しない限り、どのような施設を作っても「平和を誓う」ための施設にはなり得ない。第二の靖国神社が出来るだけである
 
戦死者をどう悼むかは、個人個人によって違って当然である。ましてや公式参拝となれば政教分離原則から判断すべきである。「伝統」とか「戦死者の思い」とか日本人のナショナリズムをくすぐるような靖国擁護論に対して、論理的かつ有効な反撃を加えるに心強い書物である。

オリンピックの野球外しは当然

オリンピックの競技から野球とソフトボールが除外されることになった。残念と言えば残念だが、当然の結論であろう。
 
両競技とも参加国を見れば、その普及があまりにも一部の国に偏っていることは一目瞭然である。独特の競技場は、野球人気のない国では後々使いようがない。ソフトボールなど日本でも五輪時以外注目を集めることはない。
 
日本のメディアでは、「メダルが減る」「五輪出場を目指していたのに…」といった選手、関係者の談話があふれているが、日本のメダルや一個人の夢のために五輪が存在するわけでもなかろう。
 
これらの競技は、いつも日本、米国、台湾、韓国、中国、オーストラリアあたりがメダル争いの常連で、五輪競技として正直違和感を抱いていた人も多いのではないだろうか。
 
残念ながら五輪のスリム化、五輪開催可能国の拡大といった、IOCの理念の方が勝っている。
Profile
湯浅伸一
10年ほど地方紙で記者をしていました。
その後創業に参画し、現在は、関西で中小企業診断士をしています。
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