最初に取り上げたいのは、あちらこちらで話題にもなっている「新聞、テレビを殺す」という話だ。
「殺す」という表現が、堀江氏一流の刺激的な物言いのため、何か新聞社や放送局をぶっつぶしてインターネット関連企業が取って代わるような感じを与えている。しかし、インタビュー全文を読むと、若干ニュアンスが違うことがすぐにわかるはずだ。
堀江氏が言いたいことは、ニュースを提供する、ドラマや娯楽などのコンテンツを提供するといった新聞や放送局など既存メディアの機能をネットに移していくということだ。まあ、それだけのことである。ネットがメディアの一翼を現在も担っており、今後ますます存在感を増していくことは疑いない。まあ、当たり前のことを言っているに過ぎない。その場合、各メディアの役割分担が進むのか、混沌と併存するのか、消費者(読者、視聴者)はそれをどうとらえ、生活はどう変わるのか等々テーマはたくさんあるがここでは触れない。
ここで問題にしたいは「殺される」既存メディアの機能、もっと言えば存在意義は何か、ということである。
そして、これは消費者(読者、視聴者)にとっての存在意義と内部の従業員のそれは大きく違うのではないかということに注目したい。
今回の買収「騒動」は、メディアを大いに賑わせ、ジャーナリストや評論家が様々な意見を闘わせているが、一般の人々の関心は、もっぱら堀江氏のキャラクターに集中している。ニッポン放送、フジテレビは今のままでいい、ニッポン放送、フジテレビを「殺さないで」という声が聴取者、視聴者からわき上がっているという話は全く聞かない(あったとしたらごめんなさい)。
ここに既存メディアの最大の危機があるのではないか。

江川紹子ジャーナル〜社会のこといろいろ〜
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